起業家やベンチャーとも 復興支援で連帯していきたい

株式会社ベガルタ仙台の代表、西川さん

株式会社ベガルタ仙台
代表取締役社長
西川 善久(にしかわ よしひさ)

1948年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業し、株式会社河北新報社に記者として入社。
三陸河北新報社代表取締役社長を経て、2014年に株式会社ベガルタ仙台代表取締役社長に就任。
三陸河北新報社の社長時代は被災地のなかでもとくに激しい被害を受けた石巻の復興の現場を報道するとともに「ベガルタ仙台レディース(現:マイナビベガルタ仙台レディース)石巻後援会」の発足にも深くかかわる。

ー地域貢献を掲げるJリーグの各チームでは、さまざまな社会活動を展開しています。
しかし、起業家支援に協賛しているのは珍しいケース。
地元のビジネスコンテストに協賛している「ベガルタ仙台」は、そんな“若い人たちの夢の実現”を応援しているチームです。
そこにはどのような想いがあるのか。ベガルタ仙台を運営している株式会社ベガルタ仙台の代表、西川さんに取材しました。

心をひとつに、願いをかなえる。そんなミッションに取り組んでいます。

起業家支援の想い


――ベガルタ仙台では、仙台・宮城での事業化を目指す起業家などから具体的なビジネスプランを募集、優れたプランを表彰するビジネスプランコンテスト「SENDAI for Startups! ビジネスグランプリ」への協賛を2017年から始めています。その想いを聞かせてください。

われわれの基本はプロサッカーチームの運営ではありますが、それと同時に地域活性化に協力し、いろんなかたちの絆を広げていくという想いがあります。ですから、連携できるいろんな動きには、できる限り協力したい。「SENDAI for Startups! ビジネスグランプリ」への協賛もそんなカタチで始まりました。

最近、若い人たちのなかで「復興のために」という目標を持ってベンチャー企業を立ち上げたり、ベンチャー的なことにチャレンジする人たちが増えているように思います。そのような想いで県外から仙台・宮城に来られて、もとから地域にいる若い人たちと連携し、震災前にはなかったような活性化した状況もあります。

こうした若い人たちの「新しいものをつくっていくんだ」という想いは、今後の復興で大きな役割を担っていくでしょう。最近、シェアオフィスやコワーキングスペースなどの若い起業家を支援する場が仙台で生まれていますが、復興という視点から考えても、非常に有意義な動きだと感じています。

――その理由を聞かせてください。

震災以降、今まで東北に目を向けてこなかったような人たちも関心をもって地域に入って行き、いろんな活動をされています。一時的には復興支援だけど、長く活動をしていくためには将来に向けてそれを事業として継続していかなければいけません。そうした動きや流れのなかから新しい事業というものが生まれてくるんだろうと思います。

そのためには事業化しやすい環境づくりが欠かせません。そういった意味で、シェアオフィスやコワーキングスペースといった事業化をサポートする場づくりは非常に大切だと思います。

「復興支援室」をつくったJクラブ

――起業家やベンチャーが増えることは地域活性化につながるということですね。

ええ。地域活性化はわれわれにとっても大きな目標です。J1にいるプロサッカーチームとして、試合に勝ち、上位で活躍することが求められます。そして、そのことが地域に希望や元気を与えることになる。震災直後からベガルタ仙台は「被災地の希望の星になるんだ」というスローガンを掲げていますが、それを実現するには、やはり上位で活躍しなければいけません。

特に市民クラブを発祥とするベガルタ仙台は、チームが勝つことが一番大事なのだけれども、地域貢献も大切なミッションのひとつとしてもっています。Jリーグでは地域貢献のホームタウン活動を大きく掲げていますが、その意識が特に強いのがベガルタ仙台の特徴のひとつなのです。

――具体的には、どのような地域貢献活動をしているんですか。

ホームタウン活動と復興支援の二軸による地域貢献活動をしています。ホームタウン活動としては、サッカー教室やヨガ教室、健康体操教室などのほか、さまざまな地域イベントへの協力や協賛、足こぎ車いすの寄贈などの社会貢献も行っています。

また、復興支援として2011年から「宮城・東北ドリームプロジェクト」と称し、被災地の子どもたちを中心に年間1,700名をホームゲームに招待しているほか、2015年より年間40校の小中学校を訪問し「復興支援サッカーキャラバン」とうたった授業の一環としてのサッカー教室を行っています。リーグ戦の全ホームゲームにアーティストを招き、試合会場はもとより全FM局に配信するという「復興ライブ」という活動も行っています。
ラジオを通じて被災者に歌声を届け、少しでも元気になってもらいたいという想いがあります。さらに、2016年からは石巻市と復興支援連携協定を締結し「復興支援in石巻」を開催しています。

心をひとつにして…「ベガルタ」に込められた願い

――「復興支援in石巻」では、どのような活動をしているんですか。

マイナビベガルタ仙台のレディースの公式戦、ミニキャンプ、イベントなどを石巻市で行っており、2016年度、2017年度と6回づつ開催しました。これからも地域に元気を届けられるよう、クラブ一丸となって活動していきます。復興支援は震災から5年目になる一昨年にクラブのなかにつくった「復興支援室」で推進しています。

――なぜ復興支援室をつくったのですか。

5年というのは全国からの支援活動の節目になるからです。つまり、被災から5年を迎えると支援が減る傾向にあるのです。それは東日本大震災だけではなく、阪神・淡路大震災など、支援活動のひとつのサイクルなんです。そうした現状があるので、微力かもしれないけれど地元にいるわれわれができる限りそれを補完するような活動をやろうじゃないかということで、復興支援室をつくりました。

個人的な考えですが、復興支援は20年、30年続けなければ本当の実を結びません。そういう構えが必要なのです。ですから、息の長い活動をしていくために、復興支援室を立ち上げました。

――改めて復興への想いを聞かせてください。

復興のためには、さまざまな取り組みを行うと同時に、地域の心をひとつにしていく働きかけが大切。チーム名である「ベガルタ」は、仙台の夏の風物詩である七夕に由来しており、織り姫(ベガ)と彦星(アルタイル)の名前にちなんでいます。ここには「県民・市民と融合し、ともに夢を実現する」という願いが込められています。

心をひとつにして願いを叶えることに貢献するのは「ベガルタ」という名前を持っているクラブとしての大きなミッション。そんな覚悟でこれからも復興支援の活動をしていく方針です。

絆フットボールを目指して

――今後のビジョンを聞かせてください。

2019年はクラブの発足から数えて25周年を迎えます。このタイミングで、もう1度われわれとしては設立当初の地域のみなさんに支えられて誕生した市民クラブの原点に戻って、いろんな絆を深く強く、そして大きく広げていく活動をしていきます。

企業との絆ということでは、われわれをサポートしていただいている地元企業のみなさんはもちろん、県外から進出してこられる企業、そして新しく起業する若い人たちやシェアオフィスやコワーキングスペースなどを通じて起業を応援する人たちとの絆も大切にしていきたいですね。

震災当時は盛んに言われた「絆」という言葉を改めて大切にし、新しい絆を生み出していきたい。そんな「絆フットボール」を目指していきます。